
宗教課税について。
宗教法人は非課税です。
宗教に課税すれば多額の税収が舞い込むはずですよね。
なぜ、宗教は非課税なのでしょうか?
それは、戦前からなる宗教の歴史が関係しています。
日本では宗教の自由を排除し続けた「反省」から、国家という公権力が宗教活動に介入することを禁じた策として、非課税という制度を採用し続けています。
付帯事業についても税金が取られなかったりする、まさに日本一優遇されたビジネスモデルこそが宗教なのです。
そもそも、宗教とはなんでしょうか?
それは、人の心の拠り所です。
人ってとても弱い生き物なのです。
何かに必要とされる、何かの役に立つことで、自分の生きている意味を実感するものなのです。
お金持ちほど宗教にハマる人が多いのは、心の拠り所を求めるからです。
お金持ちは孤独な人が多いのです。
さて、ここで宗教課税に対するひろゆき氏のコメントをご紹介したいと思います。
宗教課税しないのはおかしい。
宗教に加入している人。
創価学会に入っている人は本当に創価学会に入りたくて入っているのか?
というと、これは真理ではない。
なんとなく生きていることに不安があって、コミュニティに所属しておきたい人がいるんです。
これらのニーズを別のところで吸収できるのであれば、別に創価学会に加入する必要はなかったりしますと。
創価学会って他の宗教団体を転々としている人が実は多かったりするんですよね。
いろいろな宗教とかセミナーを渡り歩いた人とか結構いて、「何かに頼りたい人」っていう一定のニーズを宗教が受け口になっているという現実があって、それを宗教じゃない形で受け取るということであれば、別に宗教に税金の優遇をしなくてもいいのではないかと思うわけです。
例えば、会社ってある種の宗教なのですよ。
だって、サービス残業とかするじゃないですか。
あれは、
「会社が必要だと思う仕事を、自分が貰えるべき対価を捨ててまで、自身の労働を提供している」
わけじゃないですか。
それはもう、契約の話ではなくなってきますよね。
この時間働いて、この時間これくらいの給料と貰いますという話ではなくなっているのですよ。
「俺が休んだらこの店回らないから、風邪引いてでも働きます!」
とか。
これって妙な責任感感じているけど、休もうと思えば休めるわけですよ。
それを、給料貰える以上のものを提供しなければならないというのは、ある種の思い込みなんですよ。
やりたいからやっているとう、ある種の宗教なんですよね。
洗脳とも言えるのですけど。
というので、
会社に対して宗教的な要求を満たす人っていうのは日本社会には結構ある
のです。
結果、会社は課税されているのだから宗教も課税してもいいよね?っていう理論になってきます。
社会的ニーズを満たせる場があるのであれば、それは宗教でも会社でも、趣味の世界でも家庭であっても、何でも良いということなのです。
それを宗教だけ優遇しているのは、今の21世紀にしてみればちょっと時代にそぐわないし、違うのではないかな、と個人的にも思っているわけです。

宗教って現代の日本から見ると、本当に悪の巣窟だと思っています。
(世界的に、イスラム教を筆頭に悪という風習は広まりつつありますが)
特に日本では、非課税という制度を悪用して、犯罪まがいのイカサマ新興宗教が蔓延しています。
人の心に付け込んで、弱い人を騙して金を巻き上げるには格好のエサですからね。
そんな悪徳なビジネスには法人税以上の課税をして、即刻潰したほうがいいです。
優良な宗教で、本当に必要とされていれば、ニーズがあるわけで潰れないでしょ?と。
優良な宗教以外は淘汰されるし、日本の税収も上がるし、で良いこと尽くめです。
政権への組織票獲得のため、いまさらこの制度を変更することは大変難しいとは思いますが、いつかはやらなければならない改革だと感じています。
日本は宗教ってほぼいらない理由があります。
それは教育が高水準であるため、宗教論さえも教えていることに繋がっているからです。
海外では無宗教って話をされると大変驚かれると思います。
それは、道徳心の無い人だと思われるからなのです。
宗教って実は、人間が社会生活を営む上での道徳心を教えることが重要だったりするのですよね。
でも、日本の教育って「道徳」の授業があるじゃないですか。
人の心という、数値では表現できない心の教育を大事にしてきた歴史があるので、宗教が無くても秩序が保たれているんですよね。
現代の日本では、宗教にはしっかり課税し、寂しい人への心の拠り所となる何かしらの政府公認のコミュニティを作ったほうが、21世紀のモデルとしては現制度よりも合っているのではないかと考えるのです。
そうすれば、巡り巡って結果的に会社に変な忠誠心を持つ人も減って、労働環境も良くなりますよ。
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