いい人ほど損をします。

巷では、いい人が結果的に報われる小説・ドラマなどのストーリーで溢れていますが、それは「こんな世の中だったらいいなぁ」と思う、作り手と受け手がいるから成り立っているエンターテインメントです。

世の中が本当にいい人が報われる社会になっていれば、そもそもそんなストーリーは日常生活に溢れていることになるので、誰も喜びませんし需要がないのです。
フィクションだからこそ、夢を見れるからこそ、エンターテインメントにお金を払う価値が生まれるのです。なので、メディアのプロバガンダに乗せられて安直に「正義は勝つ」などといい人ぶるのは、自分が損をするのでやめたほうがいいです。

では、「いい人」とはどのような人でしょうか?それは「他人のために生きる人」です。他人のために生きることは気持ちいいです。素直に感謝されることも多いですし、ありがとうと言ってもらえることも多いです。でもそれって、突き詰めると『承認欲求』であることに辿り着きます。つまり、自己満足の世界であって、それ以上でもそれ以下でもないのです。

他人のために生きることは「利用されている」ことが多いので注意しなければなりません。人って実はあまり他人に興味がないです。その時は感謝するけど、その後は「そんなこともあったなぁ」で忘れちゃうのが人ってもんです。

では、毎日顔を合わせる会社の人中で、自分がいい人だったらどうでしょう?同僚はあなたを利用して、面倒くさい仕事ばかりを押し付けます。お客様の立場だったら自分たちの良いように動いてくれる「駒」だと確実に思われています。

そんなことで生産性が上がるのでしょうか?

その時は皆「ありがとう、たすかるよ」と言ってくれるかもしれません。あなたはその言葉を糧にして、一生懸命また仕事を頑張りますが、結果的にやらなくても良い仕事をして残業代という無駄なコストを積み上げ、結局会社のためになる仕事をしていないことが多いことになります。新規受注を取れてもお客様からもナメられているが故に、足元を見られて赤字必死プロジェクトに陥るでしょう。

いい人というのは「Noと言えない人」だということがわかりますが、一番やっかいなのはその状態を「正」としてしまう愚かさにあると私は思うのです。

典型的なのはブラック会社に居続けることです。自分がいなくなったら会社はどうなるか、、そのようなことばかり考えます。いい人はいつも利用される立場にあります。例えば、ワタミ社員のインタビュー。

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お世辞にも見た目健康的とは言い難い。しかも、結構年齢いってそうなのにバイトなんです。

「ここでバイトを長く続けられるもう一つの秘密は、このお店が夢でいっぱいだからです!」

完全に会社に洗脳されてます。

で、この人、超いい人そうじゃないですか!

この人が幸せならいいのですが、バイトの安月給の立場で保証もない世界でずっと続けられるとは到底思えないのが私の見解です。

居酒屋のバイトで学べることはあると思います。むしろ、消費者としてはいつもお世話になっているので無くなったら大変困ります。しかし、労働者の立場から見ると、居酒屋のバイトで将来的に渡って身に付けられるスキルってどれほど多いでしょうか?

接客や料理の力が身に付く!って言っても、企画力、折衝力などの上流の仕事は一切身につきません。居酒屋の接客などのオペレーションの仕事は、安い労働力である東南アジアの人材にシフトしているので、バイトだったら真っ先にクビを切られる立場になります。

そこで「いい人」は言うのです。

『俺はこんなに会社に尽くしてきたのに・・・』

結果的に自分のために生きてる人のほうが、駒にならず世の中を変えるイノベーションを起こす立場にのし上がる人が多いのが現実です。結果、それが大多数の他人のために貢献することに繋がります。



大ヒット中の「嫌われる勇気」。この本にもどう生きるべきかの本質が記述されています。アドラーは、『他人の課題に介入する事こそ、自己中心的な発想なのだ』と一蹴しています。

つまり、他人のために生きるということは、他人を自身の承認欲求のためのツールにしてしまっているということです。繰り返しますが、他人はそこまであなたのことを考えていませんし、そこまで感謝していません。過去の出来事はすぐ忘れてしまうのが人間本来のプログラムです。

自分のために生きていない人は、今すぐ自分のために生きる方向転換をしましょう。

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