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企業戦士として、休日もがむしゃらに働いた昭和の人々 

会社人間は果たして幸せなのでしょうか?

日本ではかつて、サラリーマンは企業戦士と言われていました。

企業戦士とは、会社のために命を捧げ、粉骨砕身働き、休日も家庭を顧みずに働くことが正義とされたことから生まれた用語であり、当時は本当に誰一人文句も言わずにただひたすら仕事だけに生きたのです。

文句も言わなかったのは理由があります。

高度経済成長期では、会社に尽くせば尽くしたほど給料が考えられないほど昇給し、ボーナスは札束の厚さで封筒が立つくらい貰えていました。

「目の前の仕事に専念すれば、自分の生活は上向きになり、結果として日本全体が豊かになる」

プロパガンダとも言える夢物語が、本当に実現していくので、当時はがむしゃらに仕事をしない理由が無かったのです。

そのため、昭和時代に会社人間であったならば、やったらやった分だけ「やった分以上の見返り」があったので、会社人間は幸せだったのでしょう。

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しかし、21世紀になった現代では、会社に命を捧げ、粉骨砕身働き、休日も家庭を顧みずに働いたところで、得られるリターンは明らかに少なくなりました。

高度経済成長期以降で日本経済は長期低迷期に突入したことで、昇給どころか会社に長年尽くした人々が、あっという間にリストラされることも相次いだのです。

目の前の仕事に専念しても、自分の生活は上向くばかりか苦しくなり、結果として日本全体が沈没していくのに、仕事だけが増えて業務内容は高度化していきました。

頑張っても頑張っても給料が上がらなければ、フツーは働く気力など失せるでしょう。

働いても働いても豊かにならないので、大手企業であっても相当深刻な経営難に陥っており、そのツケは労働者が背負い犠牲になります。

ハッキリ言って、平成のこの時代に会社人間として生きてしまったら、あなたの人生は終わったも同然でしょう。

そもそも、いくら会社である程度の地位に立ったところで、業績が傾けば全てが水の泡です。

会社で作った人間関係も、所詮は利害関係で成り立っていた関係に過ぎず、「会社」という括りが無くなればあなたは途端にひとりぼっちです。労働者にとっての会社は砂の王国であり、崩れ去れば跡形もなく消える虚像に過ぎないのです。

会社人間として生きた人の末路は悲惨で、退職後も死ぬまで会社に依存しなければ自我が崩壊しまう有様でしょう。

会社人間の末路

介護施設に到着するや否や、昔の職場に電話して、元職場の人を困らせている。

しばらく椅子に座りのんびりしたと思うと、いきなり椅子から立ち上がり、仕事に行ってくると出口に向かう人、なにやら一生懸命に塗り絵の裏紙に文字を書き仕事の原稿だという。

働いていた頃の記憶が混沌とした現実の合間によみがえっているのだろう、

聞けば、仕事を辞めるまで仕事以外に楽しみもなく、仕事関係の友人しかいなかったという。

施設のお世話にならない人でも、用もなく元の職場に電話をいれたり、突然訪ねたりする人もいるようである。

仕事に行ってくると出かけて、迷子になり徘徊する

仕事をしていた資料がない、誰かが盗った、隠したという被害妄想

いまだに職場の相談役のつもりで、毎朝出勤者や何かの参加者を確認している人

職員に一生懸命に仕事の心得を説く利用者

利用者の集まりが職場やオフィスと思い込む人

働いていた時の記憶だけが鮮明に残り退職後十数年経ているにもかかわらず環境の変化や立場の変化が欠落している。

このような人から、僅かにのこる会社人間としての記憶を、整理してしまうと、まるで抜け殻のように生きるしかばねとなってしまう気がする。

きっと、この人たちは、真面目に会社に勤め一生懸命に仕事をして人生を仕事にかけた人たちなんでしょう。

どうでしょう皆さん会社、仕事以外の話題で残りの人生を考えてみてください。 

会社に生きても、仕事に生きても、人生で得られるものなど何もないことに気付くのは退職した後です。

21世紀の現代では、

・会社や仕事はほどほどに
・将来の資産作りは株式投資で

と割り切って、会社よりも自分の人生を充実させた方が、よっぽど幸せになれる時代です。

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